ゲルトを日本が失う日。

自身のサッカーライフの中で忘れられない監督がいる。

それは度々名前が出ているトルシエもそうだが、
彼との付き合いはトルシエよりもずっと長い。
(勿論、向こうは私のことなど知らないw)


彼の名前は、ゲルト・エンゲルスという、ドイツ人だ。

彼は1990年に再来日した。

再来日という表現を使ったのは、
現役時代、水戸ホーリーホックの前身のクラブでプレーしているからだ。
まぁ、蹴導がサッカーを好きになるのはJ以降だから、
選手としての彼は知らない。

流暢な日本語を喋れる(6ヶ国語喋れる)彼は、
1990年以降コーチとして日本のサッカーに多大な貢献を残している。

水戸でのコーチ後、1992年まで滝川二高のコーチを務めている。
当時の主な教え子は、
波戸康広(大宮)、吉田孝行(横浜M)、
木場昌雄(ヴァリエンテ富山選手兼監督)など。

その後の経歴は、物凄い。

1993年、Jが産声を上げると共に、A・Sフリューゲルスのコーチとなる。
監督は、日産などで結果を残してきた加茂周氏である。
後に横浜フリューゲルスと日本代表で一世を風靡する加茂ゾーンプレス。
(日産時代にはゾーンプレスの概念は無かった。)

現在は当たり前の戦術として使われているゾーンプレスだが、
一説にはベルデニック(後述)が持ち込み、
ゲルトが根付かせたとも言われている。
彼は多聞に漏れず、ゲルマン魂をしっかりと受け継いで、
質の高い守備組織とボール奪取の手順を構築していった。

横浜フリューゲルスのヘッドコーチとして活躍しながら、
93天皇杯やアジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップという
タイトルをクラブにもたらすが、
彼の名前がより有名になるのは、クラブ末期以降のことである。
前任監督の不振を受けて、彼は監督として采配を振るうことになるが、
就任の矢先に、クラブの消滅と言う惨事に見舞われることになる。

しかし、彼はその逆境にめげず、解散報道後、
無敗で天皇杯のタイトルを手にすることになる。
天皇杯で破ったクラブの中には、
当時、最強(未だにこの時期の2クラブがJ史上最強だと思う)の、
鹿島アントラーズとジュビロ磐田も含まれている。

彼が監督として采配を振るった時の戦術は非常に面白い。
ドリブラーシステムと蹴導は呼んでいるが、
3-4-1-2のフォーメーション、SWと2枚のマンマーカーを配置、
ダブルボランチに、高機動の両ウイング、守備に走りまわれるFW、
そしてOHに生粋のドリブラーを持ってくる。

相手のシステムドウコウに惑わされず、
OHのドリブラーを活かす為だけの戦術である。
彼はこの戦術で横浜フリューゲルス最後のタイトルを手にした。

実は最近、このシステムは某チームで1戦だけ披露されている。
どのチームだと思う?チームっていうのがヒント。

そう、U-22日本代表だ。
同じくフリエ出身である反町氏がG大阪の家長をOH起用し、
同じシステムで戦った。
相変わらずスペシャルなシステムだな~と思いながら見ていた。


フリューゲルス解散後、彼はジェフ千葉の監督となるが、
成績振るわず解任している。
まぁ、前年度圧倒的な最下位のジェフを、
降格から救った上、ベースを作ったのだから問題は無いだろう。

彼の解任後、ザムフィール時代を経て、
ベルデニック(ゲルトの前の横浜フリューゲルスのコーチ)が就任し、
そのまま、ベングロシュ、オシムへとジェフの襷は渡されていく。


彼の実力が認められるのは、京都サンガF.C.でのことである。

またもや縁の有る加茂氏のコーチとなり、
彼の解任後、京都サンガF.C.の建て直しに尽力する。
1stステージ2勝12敗1分のクラブを、
2ndステージで6勝8敗1分まで持っていくが、敢え無くクラブは降格。

しかし翌年、パクチソン、松井大輔、黒部光昭を育て上げ、J2優勝。
復帰した2002年には、1stステージ6位、2ndステージ7位と躍進し、
そして同年の天皇杯で優勝。
関西勢初となるタイトルをクラブにもたらす事になる。

敵将のトニーニョ・セレーゾが、
「Jリーグには偉大な監督が2名いる。私と彼(ゲルト)だ。
まぁ、私のは希望だがw
彼のような監督が最優秀監督に選ばれないのは不思議だ。」
と語ったのは有名な話(若干、言葉が違うかも)である。

まぁ、京都は翌年、黒部の故障、パクの移籍もあり、
結果が思うように残せず再降格してしまうのだが…。
一番痛手だったのは、エンゲルスの早期解任だったと、皆思っている。

京都を解任された後、彼が納まるところが、
(蹴導は、トルシエ後の日本代表監督だと思っていたがw
日本の隅々まで、本当に良く知ってるからね。)

浦和レッズのヘッドコーチである。

監督として浦和の街に戻ってきたギド・ブッフバルトの女房役として、
懐刀として、彼はクラブのJ初優勝に大きく貢献することになる。
ギド時代は4つのタイトルと3つの準優勝を味わった。

浦和の堅守を作り上げ、体制がオジェックに変わった後も、
浦和が浦和であることのベースには、彼の叡智、知略が欠かせない。

そして現在に至る。


さて、こんなに日本を知り尽くしているゲルトだが、
日本との別れが近づいていると囁かれている。

信頼できる指揮官であったギドより、
アーヘン(ドイツ2部)の監督への就任を要請されているらしい。

アーヘンは彼の故郷であるデューレンからも近い。
故郷を離れて、もう20年…もしかしたら30年近くになるのかもしれない。

天命を知るべき50歳を迎えた彼にとっては、凱旋帰国に等しいのだ。

ギドの要請を飲む可能性は否定できないし、
快く彼を送り出したい、私、個人の気持ちも有る。

でも、出来ることなら彼が日本代表でタクトを振るう姿を見たかったのも、
私の中の真実でも有る。

まぁ、まだ50だ。
彼の日本代表監督としての姿を見れる可能性は無いわけではない。

凱旋するにしろ、日本に残るにしろ、
日本にサッカーを伝えてきた彼の今後に、
大きな光が差し込んでくることを期待している。

オーバー。
[PR]

by awi-syuwdow | 2007-06-09 03:26 | サッカーコラム  

<< 世界最高の舞台で戦う日本人 U-21代表 vsマレーシア >>