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超長文…2006W杯を振り返って。

2007年を迎えるにあたって、どうしても年内に書いておきたい事がある。
2006W杯ジーコジャパン…である。敗因は何だったのだろうか。


JFAではコンディション不足とフィジカルが弱いという見解を提出したが、
敗因はもっと別のところにあると感じている。
Jリーグが始まり受け継がれてきた代表の特徴。
(その先の時代もあるが急速に伸びたのはここからなので…。)
以下の点が日本の特徴だと、日本的なサッカーだと感じている。

前線から守備を怠らないFW:カズ、中山、城、森島、鈴木、柳沢など。
中心となるカリスマ:ラモス、名波、中山(2箇所ノミネートw)など。
視野の広いアンカー:田坂、伊東、山口、戸田など。
豊富な運動量のバランサー:北澤、本田、明神など。
果たしてこれらの日本代表の特徴が受け継がれていたのだろうか?

踏まえたうえで問題を検証しよう。
WBからコンバートされた三都主の裏が一般的に穴と賑わせていたが、
そこが一番の問題点ではないと思う。
サッカーは良いときほど弱点、物足りない部分を見つけやすい。


【問題点1:スペース】
話は2005年のコンフェデ、ブラジル戦に遡る。
2-2のドローで惜しいと呼ばれたあの試合だ。
数分戦っただけで日本の問題点に気づいたのだろうか。
ブラジルの攻撃パターンはある地点からの3つの派生が見られた。

まずDHとCBの間でカカーがボールを持つ。
中沢が出てきたらサイドに散らし、クロス。
宮本が出てきたら裏にFWが走り、パスを受ける。
両方出てこなかったら、そのままミドルシュートである。
この試合、カカーはフリーのミドルを外しに外しまくる。
もし外さなかったら2-6ぐらいの試合になっていただろう。

2006年のW杯もケーヒル(豪)にジュニーニョ(伯)に、
このスペースを使われまくることになる。

ジーコジャパンの最初の問題点は、
DHとCBのスペースが空くこと(ここを抑える意識の欠如)であり、
それは最後の試合まで改善されなかった。
対処法としては、全体的に下がる、もしくは高いラインをキープして、
中盤をコンパクト(各選手の距離を近くすること。)にする。
CH2枚ではなくバランサー2枚、もしくはアンカーを置くなど。


【問題点2:疲れ】
日本の特徴に戻ってみる。
最後までボールを追いかける、最後までプレスを怠らないFW。
日本人の美徳に近いこういう選手はファンの心を掴むし、
そういう選手が歴代の代表に名を連ねた。
ただFWのスタミナは無限大ではない。
コレを効果的に活かすにはFWの行動エリアを狭める必要がある。
そう、ラインを上げればFWの行動範囲は狭まる。
だがラインを下げて戦うことを選択すると、
その分FWはゴールに向かって長い距離を走ることになり、
想像以上に早く消耗してしまいその力を活かせない。
日本のFWを活かすにはラインを上げなければならない。
何故ジーコジャパンの選手があんなにも早く疲れたのか?
単純にラインが下がった分、
今までの代表より選手の走らなければならない距離が増えたからである。


【問題点3:アンカー】
1,2の派生だが例外もある。
1997年のジョホールバルを覚えているだろうか。
あの試合もジーコジャパンのようにコンパクトなラインを捨てて戦っていた。
案の定、FWは最後まで持たず二人とも(正確には3名)交代をする。
しかしあの試合は勝てた。何故か?MVPを考えれば分かるだろう。
1点目の中山?2点目の城?決勝点の岡野?いや違う。
MVPは多くの味方が前線へ駆け上がる中、
イランの怒涛のカウンターをアンカーとして、
的確なポジションで何十回と止めた山口素弘だろう。
山口の系譜を感じさせる選手は今回の代表には存在しなかった。
2002年は…これは後々書こう。面白いデータがある。


【問題点4:チーム】
ある中盤の選手達は、
お互いが前に行くタイプであるがために併せない相方を嘆き、
ある主力CBは体調不良の主力選手を出さないでくれと直訴する。
サブの選手は出番がないだろうと諦め、また俺が出ていたら勝ったと嘲った。

果たしてこのような光景が4年前、8年前、12年前にあっただろうか?
ラモスがいたら化学変化を起こしてくれただろう。
ゴンや名波、秋田や小島がいたらみな落ち着けただろう。
しかし指揮官は前者型を嫌った。
監督のすることに口を挟んでくるのが目に見えているからである。
戸田、松田、そして闘莉王これらの選手は外され、また呼ばれなかった。
松田に関しては、監督の言葉で逆切れし、監督が呼ばなくなったとも聞く。
後者の選手達が選ばれなかった理由は分からない。
だが、アジア予選で率先して魂を訴え続けたのは三浦淳宏であり、
選手の兄貴分だったのは藤田俊哉である。

チームをまとめれる選手は重要である。
前監督トルシエが23名を選んだ時の言葉を覚えているだろうか。
「最高のチームとしてこの23名を選んだ。~
…試合に出るチャンスが少なくても貢献できる選手が数名。」
テストの末、最終的に市川と明神との競争に敗れた波戸の番号と、
セットプレーを確認するテストマッチで、自分でシュートを狙い、
指揮官の怒りを買った中村の番号は、経験豊富な秋田と中山が背負った。
経験豊富な彼らは、
意見を出し合い昇華しなければチームにならないことを理解しており、
実によく喋っていた。
かくしてチームとなったチームは予選を突破した。
また素晴らしい雰囲気はDVDにもなった。

今回の代表はDVDになれるだろうか?
GKの3名だけは、2名が98年の小島選手の背中を見ていたこともあり、
意識は高いように見えたが、
前回のW杯で自信をつけた、
私と同世代の79年組は思うように出番をもらえず腐っていたように見えた。
チームの精神的支柱となれる存在や、
チームになにかしら活気を与える存在を、
カリスマ中のカリスマである指揮官が選ばなかったのには疑問が残る。


この4点が大きな問題点だったと、
ようするに日本らしいサッカーから最も離れていた代表であったことが、
敗因だったのではないかと思う。
偉大なるジーコは偉大すぎて、
自分の後ろで自分を自由にさせるためにせっせと敵を引き止めていた、
トニーニョセレーゾに気付いていなかったのかもしれない。

オーバー。

by awi-syuwdow | 2006-12-30 00:50 | 日本代表  

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